昔から旅行のメインイベントだった温泉
毎日入る家庭の温泉と違って、温泉地でのんびりと
手足を伸ばして入るお風呂はまた格別です。
多くの観光客にとって重要なのは、温泉の効能よりも「お風呂」
つまり温泉の入れ物ではないか。そう考えた温泉旅館が次々と
名物「風呂」を造り、宣伝し、集客の目玉にしていった時代があります。
1950年(昭和25年)から高度経済成長期ごろに発行された国鉄
時刻表の巻末には、ユニークなお風呂をPRする旅館の広告が並んでいます。
その中には「千人風呂」と呼ばれる広くて大きいお風呂がありました。
昭和初期、熱海伊豆山温泉相模屋の「千人風呂」は有名なお風呂でした。
全国でも少なくなってきた千人風呂。南伊豆の下田「金谷旅館」
では、現在も残る貴重な千人風呂に入ることができます。
日本一の総檜大浴場。立ち寄り湯¥1000 混浴可能
広大な風呂は豊富な湯量を確保できる源泉所有の特権を示すキーワード
でもあり、大きさとともに意匠にも工夫が凝らされます。
憧れの海外旅行をイメージさせる「ローマ風呂」(大野屋)や
「パリー風呂」(つるやホテル)が代表格でした。
そしてその発展系が「ジャングル風呂」で、昭和30年以降に全国的に
大流行します。現在でも熱川温泉のホテルカターラだどで体験でき、
温泉熱を利用した熱帯植物、BGMは鳥の鳴き声と南国ムードを盛り上げました。
さらに木陰にブランコや滑り台などを配置した遊園地のような大浴場も登場します。
1964年(昭和39年)の東京五輪を控え、建築技術や軽くて丈夫な
浴槽用資材が開発され、屋上や高層階の展望風呂が実現します。
また純金風呂や総大理石風呂といった素材にこだわる浴槽が
誕生するなど、まさに百花繚乱です。
全国に先駆けて新技術や新素材、新サービスを取り入れた
熱海温泉はまさに温泉テーマパーク。当時の観光客は、
新しいお風呂との出会いにワクワクしていたに違いありません。